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       6/1(土)シンポ&デモ!「誰のためのTICAD(アフリカ開発会議)か?
         -グローバリゼーションのなかで搾取と排除に抵抗するアフリカとアジアの人々-」
           http://ticakov.hatenablog.com/entry/2013/05/10/183546

           ゲスト  チャイナ・ングバネさん (南アフリカ共和国:クワズールー・ナタール大学市民社会センター)

           シンポジスト 稲葉奈々子さん( NO-VOX 「持たざる者」の国際連帯行動 )
                    近藤昇さん( 寿日雇労働者組合 )
                    小倉利丸さん( 横浜でTICADを考える会 )
                 
           シンポジウム宣言:http://ticakov.hatenablog.com/entry/2013/06/06/231359

「『アフリカ開発支援』に対する批判的視点-南アの現状と歴史(含日本の関わり)を手がかりに-」

「アフリカ開発支援」に対する批判的視点 南アの現状と歴史(含日本の関わり)を手がかりに
大友深雪 (横浜でTICADを考える会)
※横浜でTICADを考える会の結成準備会での発言(2013年1月16日)


◇ 「アフリカは蜂起しなければならない」
 ANC政権が誕生してから19年が経過した今、政権内の汚職、エイズ対策の大失政、一部黒人の超富裕化と黒人中産階層の出現で圧倒的多数の絶対的貧困層との格差の拡大に苦しむ南ア民衆は、まるでアパルトヘイト時代の白人政権を彷彿とさせるような状況に直面しています。
 民衆の苦しみから目を背けるANC政権は自分たちの特権維持のために、警察や軍隊の権限を強化し、秘密法(機密情報漏洩を防ぐという名目で内部告発者を処罰する)を可決しています。もちろんそんなことでは貧困層・労働者のストライキや警官との衝突はなくなりません。昨年8月にはマリカナ鉱山での労使紛争から34人の鉱山労働者が射殺されるという大事件になりました。このとき適用されたのはアパルトヘイト時代の暴動鎮圧法でした。この事件の背景には極端な貧富の格差があると報道した2012年11月1日付けの朝日新聞では南アのクワズールー・ナタール大学のパトリック・ボンド教授がこう述べています。「白人に加え、ごくわずかな黒人の超富裕層が存在する。世界でも有数の極端な貧富の格差が確執を生み、経済を圧迫している。」
 パトリック・ボンドさんは、『TIME』に掲載された「Africa Rising/台頭するアフリカ」というアフリカの経済発展に期待を寄せる集記事を皮肉って、「Africa should be Uprising/アフリカは蜂起しなければならない」という批判記事を書いてます。その批判記事ではアフリカの現状をこう伝えています。

「アフリカの経済的退潮(再生不可能な資源の枯渇も勘定に入れると、年6%の退潮率となる)は、奴隷制と植民地主義がアフリカ大陸をその低開発状態に閉じこめてきた過去数世紀にわたってアフリカ外からもたらされ、さらに最近増幅された促進剤に依るところ大である。」
「低迷する海外援助―そのほとんどは『か弱き14カ国』以外にとっては、いずれにせよ“まぼろし”でしかなかったものだがー、米国主導でHIV/AIDSとマラリアと闘う資金援助のさらなる減額があり、2005年に何百億ドルの海外債務帳消し(返済不可能な独裁者への忌むべき債務の)があったが、同時にかけられた低収入のアフリカ財政当局への引き締めが直後の債務返済高の高騰を引き起こした。中国と西側諸国によるアフリカの自然資源の同時集中的略奪が鉱物・石油資源の急激な減少をもたらした。」
「携帯電話の急速な流布というが、その高額維持費とインターネットへの接続性の低さ故に、IT識字率の格差を埋めることにはほとんど繋がらない。ここ数十年、銀行がアフリカへの関心をますます独占し、西側及び東側の金融市場へのエリートによる投資が、援助を出し抜いており、1970年~2010年のアフリカ大陸からの資本流出は1兆4千億ドルだと推定されている。」

南アのこのような現状を見て、私はかつてネルソン・マンデラが言った言葉を思い出さざるを得ません。彼は1993年のCOSATU(南ア労働総同盟)への挨拶のスピーチのなかでこう語り、万雷の拍手で歓迎されました。

「もし今後、ANCが私たちに対して、かつてアパルトヘイト政権が私たちにやったようなことをやるようなことがあれば、私たちは、アパルトヘイト政権に対してやったのと同じことをANCに対してやらなければならない。」

この発言を読むと、パトリック・ボンドさんの「アフリカは蜂起しなければならない」のタイトルの意味も分かるのではないかと思います。


◇ バック・トゥ・ザ・フューチャー : 南アフリカ編
ぜ現在がこうなっているのかを知るために歴史をさかのぼって学ぶというジンバブエの歴史教科書を見たことがあります。これにならって南アの歴史をさかのぼりながら見てみましょう。
 現在、南アはグローバリゼーション経済の只中で格差が拡大しています。このグローバル化への参入は1996年にさかのぼります。この年、憲法制定とともに金融政策・貿易の自由化、財政の健在化、諸規制の撤廃を掲げたマクロ経済戦略「成長・雇用・再分配(GEAR)」が策定されます。資本流入だけでなくルワンダ、コンゴ、アルジェリア等への武器輸出も始まっています。
 この自由化政策は1993年にマンデラが各国に投資を要請する遊説にさかのぼります。南アの白人資本の逃避防止対策もあわせて進められるのです。

じつは1990年にマンデラが釈放され、白人政権との権力移譲の予備交渉のなかで、政権獲得の条件としての「経済権」の放棄を約束するのです。つまり政治権力は黒人側が担当するが、経済権力はそのまま白人が引き継ぐという約束です。もちろんこれを裏切りと見るのは簡単ですが、平和裏に権力委譲をするための苦渋の選択であったともいえます。
 アパルトヘイト体制は1960年以降、きわめて暴力的になります。この年の3月21日、身分証明書の常時携帯を黒人に義務付ける法案に反対したデモに警官隊が発砲し女性や子どもを多数含む69人が射殺されたシャープビルの虐殺がありました。もちろんそれ以前もひどい隔離政策でしたが、この事件以降、世界中で非難の声が上がり、黒人と白人の闘争も熾烈になっていきます。
 ANCは1955年には「自由憲章」を採択し、経済権を含めた全権力と全ての富を全人種で再分配することを宣言します。そのANCは南ア連邦が成立した1910年の翌々年に結成されています。このときすでに黒人たちは農業経営が困難な不毛な土地においやられており、富と権力はオランダ系(農業と政治)とイギリス系(工業と商業)の白人によって握られていました。それはオランダとイギリスによる二度のボーア戦争(1880年、1886年)でもたらされた権力構造でした。イギリスの植民地化開始は1806年、オランダはそれに150年ほど先立つ1650年から植民地化を開始します。


◇ 日本:不名誉な名誉白人として
 ここでアパルトヘイト体制と日本とのかかわりについて振り返っておきましょう。

日本は1930年に名誉白人をするよう南ア政府に要請していますが、それは戦後になって実現します。先ほどもいいましたが対立が激化した1960年に国連をはじめ各国でアパルトヘイト体制への批判が高まるなか、日本はこの隙をついて名誉白人扱いを獲得するのです。日本における反アパルトヘイト運動もこのころから始まります。
 それ以降もアパルトヘイト政策に反対する黒人の運動とそれに対する厳しい弾圧が続き、85年には非常事態宣言が発令され、国連はそれに対して経済制裁を発動します。日本は火事場泥棒的に南アとの貿易を増大させ87年には対南ア貿易でトップになり国連でも名指しで非難されます。
 日本の学者、活動家、市民の反アパルトヘイト運動のいわば第二期もここから始まります。ANCの東京事務所が開設され啓発活動を開始します。1990年にマンデラが釈放され来日。Black Educational Empowermentの支援もこのころから始まります。それまでの反アパルトヘイト、日本政府・企業への抗議アクションなどからの転換です。
 TICADは1993年にTICAD Ⅰ、その後五年ごとに、1998年のⅡ、2003年のⅢ、2008年のⅣ、そして2013年のⅤになりますが、アパルトヘイト時代から続く日本の権益の延長線上にあるともいえます。

(続く)