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       6/1(土)シンポ&デモ!「誰のためのTICAD(アフリカ開発会議)か?
         -グローバリゼーションのなかで搾取と排除に抵抗するアフリカとアジアの人々-」
           http://ticakov.hatenablog.com/entry/2013/05/10/183546

           ゲスト  チャイナ・ングバネさん (南アフリカ共和国:クワズールー・ナタール大学市民社会センター)

           シンポジスト 稲葉奈々子さん( NO-VOX 「持たざる者」の国際連帯行動 )
                    近藤昇さん( 寿日雇労働者組合 )
                    小倉利丸さん( 横浜でTICADを考える会 )
                 
           シンポジウム宣言:http://ticakov.hatenablog.com/entry/2013/06/06/231359

「アフリカは蜂起しなければならない」パトリック・ボンド ~横浜でTICADを考える会 資料1~ 【3/3】

論考 翻訳 アフリカ 開発 TICAD Patrick Bond

【2/3】http://ticakov.hatenablog.com/entry/2013/04/04/210811より続き


【タイム誌】 Africa Rising:
アフリカ・ライジング-アフリカの勃興
タイム誌:アレックス・ペリー(ナイロビ)2012年12月3日

ボニフェイス・ムワンギの最初のカメラは日本の古いフィルムタイプのもので、友達から借金して220ドルで買った。彼は15歳の時分から母親がやっているナイロビの露天で本を売ってきた。2003年のある日、彼はケニア人写真家モハマド・アミンの伝記を目にした。同氏による1984年のエチオピア飢饉の写真がバンド・エイド、それに続くライブ・エイド、さらには地球規模での人道的活動新時代の引き金となったのだ。「この本が僕に新しい世界を開いてくれた」とムワンギは言う。「ここにももう一人、自分のカメラで世界を席巻した高校中退者がいたんだ。」ムワンギも同じことに挑戦した。数ヵ月後には彼の写真集がケニアで出版され、一年も経たないうちに、彼は国内の最優秀新人写真家賞を受賞した。2007年の総選挙後に勃発した部族同士の流血の争いを間近に写した彼の写真は、ケニア国内で数々の賞を受賞し、その結果、彼はニューヨークのマグナム財団からの助成金を受けることができた。
多くの人にとって、露天商から世界レベルの写真家へと成功する物語は、勃興するアフリカを象徴するものと受け取られるだろう。貧困と災厄から目覚め、希望とチャンスへと向かっていく大いなる大陸。
しかし、ムワンギはやめてしまった。彼は自分の成功が故国の惨事を踏み台にしたものだという考えから逃れられなかった。彼は、新しい夜明けを国民に約束しながら結局は国民から奪うだけで無視し続け、選挙後の暴動を防ごうともしない政治家たちの写真を撮りたくもなかったし、撮れなかった。自分の写真家としてのキャリアが払う犠牲より、これら唾棄すべき政治指導者のせいで彼の祖国が払った犠牲 - 2007-08年の選挙後の暴動で殺された1000人以上の生命、流用された数百億ドルという国の資金 - の方がはるかに大きいのだ。「僕たちを締め上げてくれるように、あいつらに投票したわけじゃないのに」と彼は言う。
2011年、ムワンギはストリート・アーティストたちを組織し、ナイロビ中でアートによるゲリラ攻撃を開始した。塀や道路に、ペイントブラシで描かれたハゲタカが出現し始めた。さらに手の込んだ壁画も現れた-ハゲタカがケニア国旗に放尿し、あるいは自分たちの尻を国旗で拭いている絵だ。ある2月の夜、ムワンギとその仲間たちは40フィートに及ぶ壁画を下町の塀に描いた。スーツを着てニヤニヤ笑うハゲタカが、独立以後、ケニアの政治家が犯してきた犯罪(ムワンギたちから見て犯罪としか思えないもの)のリストの横に座っている。説明書きには「1963年以来ケニアを食い物にしてきた議員たち」とある。
「アフリカは上昇気流に乗っている」、現在29歳になるムアンギは言う。

「でも怒りもたくさんあるんだ。前途多難だよ」。
 アフリカの、植民地としての地位からの解放開始以来半世紀が過ぎた。その未来は何億という若いアフリカ人の手に握られている。彼らはムワンギのように「勃興するアフリカ」か「蜂起するアフリカ」かを選ばなくてはならない。状況は、皮肉屋がいうように「アフリカは独裁者も災害も克服できない」あるいは「アフリカは決して発展できない」というようなものではない。アフリカの発展は本物であり、かつドラマティックなものだ。そして今までのところ、着実に達成できている。
 国際通貨基金IMF)の計算によると、2003年以降、サブサハラ・アフリカ48カ国のGDPは年平均5%から7%のレベルで上昇している。過去10年でもっとも急成長した10カ国の内、6カ国がアフリカ諸国であり、今年はアフリカの5カ国が中国の成長率を、21カ国がインドの成長率を上回るだろう。
 これらすべての経済成長の結果は?アフリカは今、歴史的変容の過程にある。この数十年間にアジアで起こったように、今後数十年の間に、数億人のアフリカ人が貧困から脱却するだろう。ライブ・エイドの仕掛け人だったボブ・ゲルドフが、この2月にアフリカをターゲットにした2億ドルのプライベート・エクイティ・ファンドを立ち上げたが、これは事態の変化を象徴的に表している。「21世紀はアフリカの世紀になりうる」と彼は言う。


古い因習
 しかし、「どうせアフリカは・・」という悲観論が時代遅れだとしても、「アフリカは大丈夫!」という単純な楽観視もまだ時期尚早すぎる。歴史を通して、この大陸は弱肉強食的な不平等と縁故主義的暴政の下に置かれてきた。ザイール(現コンゴ民主共和国)のモブツ・セセ・セコ大統領は国民の飢えをよそにコンコルドでヨーロッパにショッピングに出かけた。今日、アフリカ経済は現代化されつつあるが、往々にして支配者層は以前のままだ。「ごくまれな例外を除いて、われわれの政治リーダーのほとんどは説明責任を果たす政治を行っていません」とエメルタス・デズモンド・ツツ大司教はいう。ツツ大司教は国際的な紛争和解組織であり、人権監視団体でもあるエルダーズ(”長老“の意:訳注)の議長である。「いまだに、”ひどい政治?それがどうした“という態度なのです」。
ある重要な調査によると、アフリカの政治指導者の説明責任を果たすレベルは過去よりも低下している。億万長者のスーダン人通信事業ビジネスマンが2007年に立ち上げた「モー・イブラヒム・アフリカ・ガバナンス指標」は、ガバナンスの劇的低下を示している。物質的には発展したが、政治的には劣化しているのだ。今年、平和かつ民主的に政権を担当し終えたアフリカ政治指導者に贈られる500万ドルのモー・イブラヒム財団の賞は三年続けて該当者なしだった。「私たちはまだ完全に過去を振り切って未来へと歩みだしてはいません」とイブラヒムは言う。
 アフリカの未来を作るのはアフリカの若者しかいない。アラブの春は、腐敗した体制が、国としては大きく経済成長しているのに、その成果を分かち合い、より大きな政治的自由を国民に与えなければ、団結した知識層の青年たちによってどういうことが引き起こされるのかを如実に示した。アフリカでも同様の爆発を引き起こしかねない要因が、すべて、かつ、より引火しやすい状態で存在している。アフリカ人の平均年齢は19歳、中近東のそれは20歳台である。海外援助のおかげで、数億人のアフリカ人がかつてなかったほど高度の教育を受けており、彼らはもっと待遇のいい仕事を求めている。インフォルマ・テレコムズ&メディアのビジネス評論家によると、2016年までには全大陸で10億台を超える携帯電話が使われるだろうという。これにより、ほぼすべてのアフリカ人が21世紀型反乱にもっとも必要なツールを手にすることになる。これは、起業に必須の道具だが、同時に革命を燃え広がらせるツールでもあるのだ。


ブームタウン
 ケニアの首都にして東アフリカのビジネス・ハブ、ナイロビはアフリカの変容をコンパクトに体現している。鉄筋とガラスの高層ビルが植民地時代の平屋を睥睨している。信号待ちの車にiPadのチャージャーを売る露天商から、瀟洒な身なりの通勤途上のオフィスワーカーまで、変化の印はいたるところで見られる。平均収入はこの10年で2倍近くに増え、期待通りに年5%の経済成長が続けば、泥小屋の国が2016年までには中所得国になることになる。
 アフリカの勃興はさまざまな誘引によるものであるが、そのほとんどは外部的なものであり、またこの10年間に起こったものである-数十億ドルに上る援助(特にHIV/AIDsとマラリア対策)、数百億ドルに上る対外債務の帳消し、特に中国の動きによりアフリカの天然資源に関心が集まったこと、携帯電話の急速な普及(2000年には数百万台だったものが今日では7億5千万台に及ぶ)など。アフリカに対する海外の関心は、そこでのビジネスへと焦点が移行している。2006年に投資額が初めて援助額を追い越し、現在はその差は2倍に開いている。
 これらの現象は大陸レベルでは変化のツナミの中で絡まりあっているが、各国・各地方レベルに及ぼす影響は均等ではない。ナイロビではそれが顕著に見られる。昼間、市の中心部を通り抜けると、毎日のように医師、教師、大学講師などの抗議行動を見ることができる。彼らはみな、笑うしかないような薄給の増額を求めている。

夜に町に戻ると、下町は少数の武装した民間警備会社のガード以外人っ子一人いない。彼らはスチールのシャッターが下りた事務所や商店を、郊外の不法占拠キャンプから乗り込んでくる泥棒たちから守っているのだ。マタトゥと呼ばれるミニバスでちょっと行くと、25万人が居住する板張りの家が並ぶ巨大スラム、キベラに着く。“発展”はここで行き止まりだ。発展の証し - 公共の街頭、学校、舗装道路、各種ビジネス - これらは貧民街の入り口で突然消失する。
 ナイロビの新しいショッピングモールのカフェでラテをすすっているデニス・カレマ(28)は、ナイロビに何百人といる先端技術起業家の一人だ。彼らは携帯電話による銀行業務やデータ・プロッティングに長けている。彼らのおかげで、ナイロビはシリコン・サバンナというあだ名を頂戴し、世界中の投資家の注目を集めている。自分のビジネス「ウサラマ」立ち上げ13ヶ月目のこの1月、カレマは自称「ATMや携帯電話送金における詐欺行為を90%削減するテクノロジー」を発表する予定だ。彼はこの技術を引っさげ世界市場に挑戦する気でいる。「いまやアフリカが世界を変える時だ」と彼は言い放つ。
 もちろんカレマだとて、自分が幸運な少数者の一人であることを認めるのにやぶさかではない。ナイロビの北、ケニア山麓ムランガにある彼の故郷の村には、大志を抱く青年を受けとめるものは何もない。「僕の友人の大多数はその日その日の賃労働で糊口をしのいでいる」と彼は言う。「その中にはものすごく頭のいいヤツだっている。だけど、なんのチャンスもない中であいつらは希望を失っている。飲んだくれて道端で寝転がるのが関の山さ」。さらに悪いことに、政府はこのような状況改善の努力をほとんど行っていない。だから毎週末、カレマはメール送受信やグーグル検索といった基礎的なコンピュータ技術を教えるためにムランガに帰る。
 若者たちの人生が無為に浪費されている現象はムランガに限ったことではない。アフリカ全体で、政府は経済成長を雇用に結びつけるのに失敗している。マッキンゼー社の8月の分析レポートによると、3億8200万人のアフリカの総労働人口のうち、2億7500万人が失業中かインフォーマルの日雇い労働者だ。2020年までには世界一高い出生率に後押しされ若年人口が爆発的に増える。これによりアフリカの人口は、2009年10億人だったものが2050人には20億人になる。就労可能年齢のアフリカ人は今より1億2200万人増えることになる。これは願ってもない朗報だろう、彼らに職があるなら。しかしマッキンゼー・レポートは、同期間の雇用増加はほんの5400万から7200万に止まるだろうと予想している。「もし、今の流れが変わらないなら、アフリカが東アジア並みの就業率に達するのは2066年まで待たなくてはならないだろう」と同レポートの著者の一人、ディビッド・ファインは言う。ゲルドフもこの意見に賛成だ。「(アフリカ発展の)次の段階は雇用だ。この空白を埋めるにはどうしたらいい?」
 マッキンゼー・レポートは、アフリカに伝統的な採掘産業は資本集約的で、この問題の解決にはあまり役に立たないという。それよりむしろ、観光業や小売業の方がより多くの雇用を生み出す。しかし、もしマッキンゼーが予測するように、この空白が埋まらなかったらどうなるだろう?成長の成果を国民に還元しなかった時に政府がどのような代償を払わねばならないか、南アフリカ政府がいい見本だ。1994年のアパルトヘイト政権が崩壊以降、大陸最大を誇る南アフリカの経済は年5%の勢いで拡大した。しかし、18年間の権力掌握は、アフリカ民族会議(ANC)をネルソン・マンデラの大義ある革命の担い手から、お決まりの途上国の強欲エリートの党に変質させただけだった。失業率は25%から40%、義務教育制度は世界最低レベル、格差は(ANCのスーパー・リッチな人々のネットワークに助長されて)拡大した。
 ANCはこのお粗末な業績の落とし前をつけさせられている。8月半ば、月約500ドルの基本給を三倍に上げることを要求して、南ア北部にあるプラチナ生産会社ロンミンが所有するマリカナ鉱山の3千人の鉱夫がストライキを決行した。すでに騒乱の中で10名の命が失われていた8月16日、警察が34名の鉱夫を射殺した。この事件は残虐なアパルトヘイトを想起させた。やがて反企業、反政府ストライキが他の鉱山や他の業種でも勃発し、今に続いている。これの出来事は、自らを貧しい人たちの代表だとするANC連合政権の主張がいかに空虚な欺瞞であるかをあからさまに示している。このような政府と民衆の乖離を前に、ツツは南アフリカ社会に激変が訪れる可能性は「非常に高い・・・もしそれが大爆発という規模で起これば、社会に大混乱を引き起こすだろう」という。
東ならびに西アフリカでもまた違った形で不穏な空気が浮上している。富める者と貧しい者との間にも分裂があるが、それがさらに既存の部族、人種、宗教的いざこざに油を注いでいる。宗教を根底とした一連の反乱がサハラ以南のいたるところで起こっている。大西洋岸からインド洋岸にいたるまで、若いムスリムたちが政府打倒を叫んで武器を手にしている。彼らは政府が西欧化されて腐敗しており、自分たちを経済的なチャンスから排除していると見ている。


起業大陸
 このような不安定な状況下での進歩など、到底思い描くのは難しい。アフリカにおける成功物語がほとんどファンタジーのように聞こえるのはそのせいだろう。Take Ecobankは資本金185億ドル、131億ドルの預金と2万3500人の従業員を擁し、32カ国で事業展開する国際的商業銀行だが、経営の中枢はアフリカの小国トーゴだ。あるいはエチオピア商品取引所はどうだろう。飢餓で100万人が死んだ次の世代、エチオピア初のヤッピーたちは一次産品取引所のアフリカ発の食料トレーダーたちだ。
 このような大きな将来性と大きな問題が同時に存在している状況は、外部の人間には理解が難しいだろう。年1億3千万ドルに上る援助“業界”は危機にばかり焦点を当てている。かたや西側の銀行は、アフリカの明るい面にしか目を向けたがらない。しかし、48カ国で構成され3千の言語が話されるサブサハラ・アフリカに、逆境とチャンス、双方が満ちているのは当然のことなのだ。ゲルドフは逆境がチャンスを生むことだってある、と言う。「アフリカはその起業精神をどこから得ていると思う?」と彼は尋ねる。「君が生きるための悪戦苦闘をずっと続けてるなら、それはつまり起業家ということさ」。
 世界の新興経済国は、自らが大転換を経験してきたおかげで、アフリカのこの可能性と落とし穴の並存状態をより容易に受け止められるようだ。 その先頭を行くのが中国だ。アフリカとの双方向貿易(しばしば、「道路、鉄道から空港、ダムにいたるインフラ刷新」と「天然資源」の交換という形をとる)は、2011年は1億6600万ドルに上った(長らくアフリカ最大の貿易相手だった米国との貿易高は1億2600万ドル)。また、インド、ブラジル、マレーシア、トルコ、湾岸諸国がアフリカの石油、ガス、石炭、木材、鉱物や耕地を求めている。「新たなグレート・ゲームがアフリカで展開されている」とゲルドフは言う。「もっとも、西欧の大半はこの地理戦略上の大物を無視しているがね」。

 この変化は避けられない。モザンビーク沖のロブマ1鉱区にはリビア全体よりも多量の天然ガスが埋蔵されているし、まだ初期調査の段階だが、ソマリアにはクウェートに匹敵する石油が眠っていると見られる。そしてアフリカ大陸には世界の未開拓の耕作可能地の60%があるのだ。ゲルドフが言うように、「最後には、われわれ皆がアフリカへ向かわねばならなくなるだろう。彼らは私たちが必要とするものを持っている」。そしてこの第二の争奪戦にこそ、アフリカの最大の希望がある。アフリカの第一の争奪戦(1870年代から1900年にかけての状況を歴史家はそう名づけた)は、欧州の帝国主義による分捕り合戦だった。第二の争奪戦では、アフリカこそが最大の勝者となるべきだ。求められればられるほど、アフリカの貧困を減らすことができるし、アフリカはより強くなれる。まともな政府さえできれば「私たちは十分うまくやっていく力があるのです」とツツも言う。
 世界から大きな興味を引いているところに、アフリカの新しい希望がある。どんなに懐疑的な人にさえこの影響は及んでいる。将来をどのように想像するかと聞かれて、ムワンギはいつの日か写真家に戻り、今とはまったく違うケニアを撮っているだろうという。「困難な日々が待っているだろう。暴力沙汰が頻発するだろう。でもやがて、世界は進化したアフリカを見るよ。僕たちはちゃんとした政府を持つ、新しい、安定した国になるだろう。僕たちは生まれ変わるんだ。古いものから新しいものを作り出すんだ」。
 運がよければ、これが将来彼が写真に撮るアフリカの物語になるだろう。(了)