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       6/1(土)シンポ&デモ!「誰のためのTICAD(アフリカ開発会議)か?
         -グローバリゼーションのなかで搾取と排除に抵抗するアフリカとアジアの人々-」
           http://ticakov.hatenablog.com/entry/2013/05/10/183546

           ゲスト  チャイナ・ングバネさん (南アフリカ共和国:クワズールー・ナタール大学市民社会センター)

           シンポジスト 稲葉奈々子さん( NO-VOX 「持たざる者」の国際連帯行動 )
                    近藤昇さん( 寿日雇労働者組合 )
                    小倉利丸さん( 横浜でTICADを考える会 )
                 
           シンポジウム宣言:http://ticakov.hatenablog.com/entry/2013/06/06/231359

報告 第2回学習会「北アフリカ革命 もうひとつの世界への模索」

横浜でTICADを考える会 第2回学習会
「北アフリカ革命 もうひとつの世界への模索 」(その概要報告)
http://ticakov.hatenablog.com/entry/2013/03/06/112551

 当会2回目の学習会では、長く西サハラ問題にかかわって来られた高林敏行さん、2006年から2009年までチュニジアに留学されていた山中達也さん、そしてWSFチュニジアに参加中の小倉利丸さん(中継で)の3人に「北アフリカ革命」について語って頂きました。以下は3人のお話の概要です。
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 <高林さんのお話―「北アフリカ革命」と日本・アフリカ関係> 
(下線は報告者による)
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 「アラブの春」と呼ばれるものは、アフリカとアラブの結節点としての北アフリカで起きた革命として捉える。1990年代から始まったサハラ以南のアフリカの「民主化」の波が実質アラブへ届き、もうすでに反動(バーレーンリビア、イエメン、シリアに見られるアラブ君主制諸国によるこの民衆革命の「管理」と外国の介入による)が始まっているので、これがどこまでアラブの中で広がっていくかは疑問だが、今後アフリカに残る独裁体制への圧力として還流する可能性をも含むものとして。そんな時日本の「国策」としての独裁体制・違法占領への荷担や対中国戦略を念頭に置いてのアフリカとのパートナーシップを謳うTICADによる関与は、平和と民主主義に資するものと言えるのか。
 実質上一党独裁や超越的最高権力者の専制が続いてきた国々からなる北アフリカでの「革命」は、西アジアのアラブ諸国とちがって、アフリカの「選挙民主主義を支持する政治文化の広がり」の影響を受けて「暴力による政権維持を許さない圧力」として高まった結果だと言える。チョムスキーによれば、「アラブの春」の先駆的役割を果たしたのは、西サハラの闘いだ。他方、北アフリカ革命の特徴は、長年の慈善・福祉活動による組織力をもつイスラーム勢力の選挙での躍進イスラーム主義勢力を主要な政治アクターとして認める民意の現れ)である。イスラーム勢力の台頭防止を名目にした独裁支持、イスラーム主義の聖戦主義による武装活動への矮小化によるイスラーム勢力の過度な敵視・排除、旧体制のエリートとイスラーム主義政党との確執などがこれを阻んできていた。
 民衆革命への反動とは、モロッコの西サハラ占領を認めるアラブ連盟の画策、湾岸協力評議会(GCC)合同軍のバーレーンへの介入、イタリア、イギリス、米国などNATO諸国のリビアへの介入である。西サハラサハラ・アラブ民主共和国を国家と認め、どちらの味方もしなかったアフリカ連合(AU)の調停工作を出し抜いて行われたのが国連、アラブ連盟イスラーム会議機構、EU,NATOの連携による軍事解決だった。さらにはリビア紛争のとばっちりを受けたマリは、フランス軍、アフリカ諸国軍による介入、アレバ社の屋台骨(日本原燃も関与)であるウラン地帯を持つニジェールが隣国であるためのフランスによる関与などでさらに情勢を悪化させられている。
 1993年から始まったTICADプロセスから排除され続けたAU加盟国の西サハラの視点(2012年の5月のTICAD閣僚会合がなぜ、AU非加盟国のモロッコなのか、モロッコの占領支配、アフリカにおけるフランスの反動的影響力、民衆革命の「管理」を容認する公式メッセージに等しい、アフリカの民主化を支持するなら、チュニジアで開催するべき)からも、ソマリア「海賊問題」とジブチの視点(日本の法制度で「海賊行為」を逮捕・処罰することを可能にしてしまい、ジブチ政府の「地位協定」で、在日米軍のそれを上回る治外法権を認めさせ、自衛隊初の海外基地の開設はジブチの独裁体制をささえることにもなる)からも、日本政府はアフリカの「民主化」の支持者ではない
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<小倉さんのWSFチュニス参加報告>(スカイプ中継)
  参加者は、2万人とも4万人とも7万人ともいわれているが、WSFがチュニジアで開催されたことは地元では大きな関心事としてアラビア語新聞では一面に、仏語新聞でも大きく報じられた。
 大きな注目をあつめたのはパレスチナ問題。植民地主義の問題を取り上げた会議も多く、パレスチナ西サハラ問題を討論する大きなテントもあった。水、債務、貧困のテーマにくらべると、軍事・安全保障問題が余り取り上げられておらず、マリからの参加者からもフランスの介入の話は聞けなかった。参加者の立場はホメイニ信奉者からUGTT(チュニジア労働総同盟)や伝統的左派までと幅広い。このイデオロギー的幅の広さとWSFがめざす「もう一つの世界」がちっとも提示されないことへの「いらだち」のようなものがWSFの問題としてずっと引きずられている。
 自分以外の日本からの参加者の感想(賛否両論)もビデオで紹介してみたい。
・女性の力強さ、ヨーロッパもアフリカも地中海の多様性として自然に受け入れられている世界を確認できた。
・みんなでこの革命をやったという自信があちこちで感じられた。
・NoVoxで参加したが、これまでフォーラム内外を占拠して貧困に取り組む地元のグループを巻き込んでやってきたのに、地元の参加が少なく、チュニジアでやった意味があったのか疑問だ。フランスでやっても同じ人が集まったのでは?
・北アフリカで開かれたことの意義は大きいと感じた。これから債務問題に本気で取り組んで行かなくてはならないことが確認できた。
・若者中心にやっていることに期待をかけたいと思った。
 自分も街頭で若者何人かに訊いてみると、フェイスブックでしか参加しなかったというものからデモには毎回参加して怪我もしたという者もいたし、憲法問題についてパンフを配っていて、政党2つに入ってどちらが良いか考えているところだというものもいて、西側の価値観への期待は留保されながら、政治への関心が広がっていることを感じた。
 大学のキャンパスを全て使ってWSFがやれること自体、日本では考えられないことだ。
ただ、WSFがキャンパス内に留まっていて、町の中へ持ち出されていなかったのは残念。ここが課題と言える。日本に関する関心は低く、持ち込んだTICADビラも受け取ってはくれたが「なにこれ?」という反応だった。チュニジアにはマック、ケンタッキー、スターバックスがなく、地元のファーストフードが安くておいしかったことがうれしかった。
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山中達也さんのお話―独裁と新自由主義からもう一つの世界へ:チュニジア民衆の闘い>
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  中東・北アフリカ諸国の中でも政情が安定していて着実な経済成長を遂げている(一人当たりGDPが中東・北アフリカ諸国の平均やサハラ以南の平均よりかなり高い)国ということでIMF・世銀からも賞賛されていたチュニジアでなぜ民衆が立ち上がったのか。
直接的な発端は、商売道具を撤去された青年露天商による抗議の焼身自殺だが、背景には、独裁政権の腐敗、強権的な治安維持機構、肥大化した官僚組織、若年人口の増大と深刻な失業、階層間格差、経済構造の脆弱性といった中東・北アフリカに特徴的なものがある。

ブルギバの開発政策と世界経済
  1948年イスラエル建国、アラブ5カ国対イスラエルの中東戦争でアラブ敗北、パレスチナがイスラエル占領下に。1955年、「アジア・アフリカ会議」「脱植民地化」の動きを時代背景として、チュニジアは1956年、フランスから独立、民族解放運動の英雄のハビブ・ブルギバが初代大統領として国家の「近代化」社会の「世俗化」を目標に強権的な指導力発揮。1960年初頭のナセルのアラブ民族主義と社会主義的開発政策の影響を受けて1969年まで、巨大な官僚群を構築し国家主導の開発政策を実施。これを西側諸国・国際金融機関から警戒され、経済援助停止、生産活動減退、大旱魃、失業率悪化、対外累積債務多額化から財政破綻寸前に。1970年自由主義経済へ転換、援助の再開で経済立て直しがなされる。
1970年前後、チュニジアも外からの借款・産業再配置に組み込まれていった。ヨーロッパへの一次産品輸出から繊維・食品加工といった軽工業にシフトするも、世界規模の景気停滞で工業製品輸出減退・開発のための輸入の増加で貿易収支悪化。1974年~75年生活必需品高騰→農村部からの人々の流入→貧民屈の形成・若年層の失業深刻化はブルギバ政権への不満・治安悪化を招く。1978年チュニジア労働総同盟主導のゼネスト→発展した民衆暴動の弾圧で200に死者を出す。イラン・イスラム革命勃発した1979年、国内のMTI(イスラム志向運動)と学生らの反政府抗議運動が弾圧される。1980年以降EUの景気後退が響き財政悪化→財政健全化のための社会保障費削減→南部の食糧暴動が全国暴動へ発展→政府による徹底した弾圧(この指揮者が後の大統領ベン・アリ)。1986年対外債務返済不履行宣言・IMFの「構造調整策」受け入れで、ブルギバの権威失墜→混乱に乗じて1987年ベン・アリが、無血クーデタで大統領に。

ベン・アリ政権下のチュニジア経済
1989年にワシントン・コンセンサスが成立し、ベン・アリ政権もIMF勧告従い緊縮財政・対外開放政策を推進、1991年勃発のアルジェリア内戦を受けてイスラム勢力警戒、反政府勢力抑圧・情報統制を実施。1995年からヨーロッパの「作業場」成長モデル推進、1987年に始まった国営企業の民営化を2010年までで219社で推進、2005年以降外国直接投資も急増させた結果、ヨーロッパ市場向けの従属的な軽工業に資本と労働力が吸収され、国内用基礎的生産物が生み出せなくなった。国家運営には国外からの資金援助に頼らざるを得ず、対外累積債務は2011年には223億ドルとなる。2004年頃から、ベン・アリ夫人家族による国富の私物化が始まり、一方工業品輸出と言えども、資本財・部品を海外から輸入・組み立て修理の上の輸出なので、担うのは未熟練労働工程なため大卒者の失業率が上がり、民衆の憤りは募った。
2008年の世界金融危機→湾岸諸国による投資滞りによる土地開発計画の中止、2009年からの米軍のイラクからの撤退によるパワーバランスの崩れなども民衆蜂起への道を準備した。

アラブの春」の現状と今後への展望
  民衆蜂起による独裁政権の崩壊(「アラブの春」)後の民主選挙で圧勝したイスラム主義政党の支持者は、「保守」と「世俗的リベラル」に大別され、イスラム主義者の中でも、セラフィストとジハーディストが台頭。アンナハダ政権は、歳出削減・規制緩和を求めるIMF貸し付けを断ったエジプトと違って、GCC等からの多額の資金援助をうけとっている。EUの成長率に影響されて、GDPは下がり、高失業率が続き、インフレ悪化が懸念される。アンナハダの人気は低下しているが、世俗派政党は分裂、独裁時代の与党系が人気を得てきている。アンナハダ批判をしてきたベライードの殺害事件も情勢の混迷を深めている。リビア、アルジェリア、マリなどの砂漠地帯を中心に台頭してきているイスラム武装勢力が、フランスの軍事介入で分散化し、地域の不安定化を加速させている。
 民衆蜂起の本質的要因は、独立以来の独裁政権の経済政策(開発独裁)と大差ない「海外からの投資・借款を梃子にした新自由主義的開発政策」にある。中道・リベラルもイスラム原理主義もめざせていない第三の道こそが議論されるときである。その意味でチュニジアでWSFが開催された意義は大きい。

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イスラーム主義を初めとした宗教間・内の多様性の許容と政治的民主主義を前提として、各地域の自律的「経済発展」と「社会文化的/人権的解放」をめざして協力・連帯することが第3の道、もう一つの世界かと再確認できたものの、その具体的道筋の提示の険しさを思わずにはいられない。(報告者のつぶやき)

報告(動画)小倉利丸さん@第2回学習会 「北アフリカ革命 もうひとつの世界への模索」

3月30日に開かれた、第2回学習会「北アフリカ革命 もうひとつの世界への模索」より
世界社会フォーラム2013チュニジアから、小倉利丸さんとの中継のもようです。


小倉利丸 世界社会フォーラム2013チュニジアから中継/横浜でTICADを考える第2回 ...
撮影: 橋本康二 編集: 木村静


小倉利丸さん
blog no more capitalism - 最新エントリー
Twitter @toshiogr

「アフリカは蜂起しなければならない」パトリック・ボンド ~横浜でTICADを考える会 資料1~ 【3/3】

【2/3】http://ticakov.hatenablog.com/entry/2013/04/04/210811より続き


【タイム誌】 Africa Rising:
アフリカ・ライジング-アフリカの勃興
タイム誌:アレックス・ペリー(ナイロビ)2012年12月3日

ボニフェイス・ムワンギの最初のカメラは日本の古いフィルムタイプのもので、友達から借金して220ドルで買った。彼は15歳の時分から母親がやっているナイロビの露天で本を売ってきた。2003年のある日、彼はケニア人写真家モハマド・アミンの伝記を目にした。同氏による1984年のエチオピア飢饉の写真がバンド・エイド、それに続くライブ・エイド、さらには地球規模での人道的活動新時代の引き金となったのだ。「この本が僕に新しい世界を開いてくれた」とムワンギは言う。「ここにももう一人、自分のカメラで世界を席巻した高校中退者がいたんだ。」ムワンギも同じことに挑戦した。数ヵ月後には彼の写真集がケニアで出版され、一年も経たないうちに、彼は国内の最優秀新人写真家賞を受賞した。2007年の総選挙後に勃発した部族同士の流血の争いを間近に写した彼の写真は、ケニア国内で数々の賞を受賞し、その結果、彼はニューヨークのマグナム財団からの助成金を受けることができた。
多くの人にとって、露天商から世界レベルの写真家へと成功する物語は、勃興するアフリカを象徴するものと受け取られるだろう。貧困と災厄から目覚め、希望とチャンスへと向かっていく大いなる大陸。
しかし、ムワンギはやめてしまった。彼は自分の成功が故国の惨事を踏み台にしたものだという考えから逃れられなかった。彼は、新しい夜明けを国民に約束しながら結局は国民から奪うだけで無視し続け、選挙後の暴動を防ごうともしない政治家たちの写真を撮りたくもなかったし、撮れなかった。自分の写真家としてのキャリアが払う犠牲より、これら唾棄すべき政治指導者のせいで彼の祖国が払った犠牲 - 2007-08年の選挙後の暴動で殺された1000人以上の生命、流用された数百億ドルという国の資金 - の方がはるかに大きいのだ。「僕たちを締め上げてくれるように、あいつらに投票したわけじゃないのに」と彼は言う。
2011年、ムワンギはストリート・アーティストたちを組織し、ナイロビ中でアートによるゲリラ攻撃を開始した。塀や道路に、ペイントブラシで描かれたハゲタカが出現し始めた。さらに手の込んだ壁画も現れた-ハゲタカがケニア国旗に放尿し、あるいは自分たちの尻を国旗で拭いている絵だ。ある2月の夜、ムワンギとその仲間たちは40フィートに及ぶ壁画を下町の塀に描いた。スーツを着てニヤニヤ笑うハゲタカが、独立以後、ケニアの政治家が犯してきた犯罪(ムワンギたちから見て犯罪としか思えないもの)のリストの横に座っている。説明書きには「1963年以来ケニアを食い物にしてきた議員たち」とある。
「アフリカは上昇気流に乗っている」、現在29歳になるムアンギは言う。

「でも怒りもたくさんあるんだ。前途多難だよ」。
 アフリカの、植民地としての地位からの解放開始以来半世紀が過ぎた。その未来は何億という若いアフリカ人の手に握られている。彼らはムワンギのように「勃興するアフリカ」か「蜂起するアフリカ」かを選ばなくてはならない。状況は、皮肉屋がいうように「アフリカは独裁者も災害も克服できない」あるいは「アフリカは決して発展できない」というようなものではない。アフリカの発展は本物であり、かつドラマティックなものだ。そして今までのところ、着実に達成できている。
 国際通貨基金IMF)の計算によると、2003年以降、サブサハラ・アフリカ48カ国のGDPは年平均5%から7%のレベルで上昇している。過去10年でもっとも急成長した10カ国の内、6カ国がアフリカ諸国であり、今年はアフリカの5カ国が中国の成長率を、21カ国がインドの成長率を上回るだろう。
 これらすべての経済成長の結果は?アフリカは今、歴史的変容の過程にある。この数十年間にアジアで起こったように、今後数十年の間に、数億人のアフリカ人が貧困から脱却するだろう。ライブ・エイドの仕掛け人だったボブ・ゲルドフが、この2月にアフリカをターゲットにした2億ドルのプライベート・エクイティ・ファンドを立ち上げたが、これは事態の変化を象徴的に表している。「21世紀はアフリカの世紀になりうる」と彼は言う。


古い因習
 しかし、「どうせアフリカは・・」という悲観論が時代遅れだとしても、「アフリカは大丈夫!」という単純な楽観視もまだ時期尚早すぎる。歴史を通して、この大陸は弱肉強食的な不平等と縁故主義的暴政の下に置かれてきた。ザイール(現コンゴ民主共和国)のモブツ・セセ・セコ大統領は国民の飢えをよそにコンコルドでヨーロッパにショッピングに出かけた。今日、アフリカ経済は現代化されつつあるが、往々にして支配者層は以前のままだ。「ごくまれな例外を除いて、われわれの政治リーダーのほとんどは説明責任を果たす政治を行っていません」とエメルタス・デズモンド・ツツ大司教はいう。ツツ大司教は国際的な紛争和解組織であり、人権監視団体でもあるエルダーズ(”長老“の意:訳注)の議長である。「いまだに、”ひどい政治?それがどうした“という態度なのです」。
ある重要な調査によると、アフリカの政治指導者の説明責任を果たすレベルは過去よりも低下している。億万長者のスーダン人通信事業ビジネスマンが2007年に立ち上げた「モー・イブラヒム・アフリカ・ガバナンス指標」は、ガバナンスの劇的低下を示している。物質的には発展したが、政治的には劣化しているのだ。今年、平和かつ民主的に政権を担当し終えたアフリカ政治指導者に贈られる500万ドルのモー・イブラヒム財団の賞は三年続けて該当者なしだった。「私たちはまだ完全に過去を振り切って未来へと歩みだしてはいません」とイブラヒムは言う。
 アフリカの未来を作るのはアフリカの若者しかいない。アラブの春は、腐敗した体制が、国としては大きく経済成長しているのに、その成果を分かち合い、より大きな政治的自由を国民に与えなければ、団結した知識層の青年たちによってどういうことが引き起こされるのかを如実に示した。アフリカでも同様の爆発を引き起こしかねない要因が、すべて、かつ、より引火しやすい状態で存在している。アフリカ人の平均年齢は19歳、中近東のそれは20歳台である。海外援助のおかげで、数億人のアフリカ人がかつてなかったほど高度の教育を受けており、彼らはもっと待遇のいい仕事を求めている。インフォルマ・テレコムズ&メディアのビジネス評論家によると、2016年までには全大陸で10億台を超える携帯電話が使われるだろうという。これにより、ほぼすべてのアフリカ人が21世紀型反乱にもっとも必要なツールを手にすることになる。これは、起業に必須の道具だが、同時に革命を燃え広がらせるツールでもあるのだ。


ブームタウン
 ケニアの首都にして東アフリカのビジネス・ハブ、ナイロビはアフリカの変容をコンパクトに体現している。鉄筋とガラスの高層ビルが植民地時代の平屋を睥睨している。信号待ちの車にiPadのチャージャーを売る露天商から、瀟洒な身なりの通勤途上のオフィスワーカーまで、変化の印はいたるところで見られる。平均収入はこの10年で2倍近くに増え、期待通りに年5%の経済成長が続けば、泥小屋の国が2016年までには中所得国になることになる。
 アフリカの勃興はさまざまな誘引によるものであるが、そのほとんどは外部的なものであり、またこの10年間に起こったものである-数十億ドルに上る援助(特にHIV/AIDsとマラリア対策)、数百億ドルに上る対外債務の帳消し、特に中国の動きによりアフリカの天然資源に関心が集まったこと、携帯電話の急速な普及(2000年には数百万台だったものが今日では7億5千万台に及ぶ)など。アフリカに対する海外の関心は、そこでのビジネスへと焦点が移行している。2006年に投資額が初めて援助額を追い越し、現在はその差は2倍に開いている。
 これらの現象は大陸レベルでは変化のツナミの中で絡まりあっているが、各国・各地方レベルに及ぼす影響は均等ではない。ナイロビではそれが顕著に見られる。昼間、市の中心部を通り抜けると、毎日のように医師、教師、大学講師などの抗議行動を見ることができる。彼らはみな、笑うしかないような薄給の増額を求めている。

夜に町に戻ると、下町は少数の武装した民間警備会社のガード以外人っ子一人いない。彼らはスチールのシャッターが下りた事務所や商店を、郊外の不法占拠キャンプから乗り込んでくる泥棒たちから守っているのだ。マタトゥと呼ばれるミニバスでちょっと行くと、25万人が居住する板張りの家が並ぶ巨大スラム、キベラに着く。“発展”はここで行き止まりだ。発展の証し - 公共の街頭、学校、舗装道路、各種ビジネス - これらは貧民街の入り口で突然消失する。
 ナイロビの新しいショッピングモールのカフェでラテをすすっているデニス・カレマ(28)は、ナイロビに何百人といる先端技術起業家の一人だ。彼らは携帯電話による銀行業務やデータ・プロッティングに長けている。彼らのおかげで、ナイロビはシリコン・サバンナというあだ名を頂戴し、世界中の投資家の注目を集めている。自分のビジネス「ウサラマ」立ち上げ13ヶ月目のこの1月、カレマは自称「ATMや携帯電話送金における詐欺行為を90%削減するテクノロジー」を発表する予定だ。彼はこの技術を引っさげ世界市場に挑戦する気でいる。「いまやアフリカが世界を変える時だ」と彼は言い放つ。
 もちろんカレマだとて、自分が幸運な少数者の一人であることを認めるのにやぶさかではない。ナイロビの北、ケニア山麓ムランガにある彼の故郷の村には、大志を抱く青年を受けとめるものは何もない。「僕の友人の大多数はその日その日の賃労働で糊口をしのいでいる」と彼は言う。「その中にはものすごく頭のいいヤツだっている。だけど、なんのチャンスもない中であいつらは希望を失っている。飲んだくれて道端で寝転がるのが関の山さ」。さらに悪いことに、政府はこのような状況改善の努力をほとんど行っていない。だから毎週末、カレマはメール送受信やグーグル検索といった基礎的なコンピュータ技術を教えるためにムランガに帰る。
 若者たちの人生が無為に浪費されている現象はムランガに限ったことではない。アフリカ全体で、政府は経済成長を雇用に結びつけるのに失敗している。マッキンゼー社の8月の分析レポートによると、3億8200万人のアフリカの総労働人口のうち、2億7500万人が失業中かインフォーマルの日雇い労働者だ。2020年までには世界一高い出生率に後押しされ若年人口が爆発的に増える。これによりアフリカの人口は、2009年10億人だったものが2050人には20億人になる。就労可能年齢のアフリカ人は今より1億2200万人増えることになる。これは願ってもない朗報だろう、彼らに職があるなら。しかしマッキンゼー・レポートは、同期間の雇用増加はほんの5400万から7200万に止まるだろうと予想している。「もし、今の流れが変わらないなら、アフリカが東アジア並みの就業率に達するのは2066年まで待たなくてはならないだろう」と同レポートの著者の一人、ディビッド・ファインは言う。ゲルドフもこの意見に賛成だ。「(アフリカ発展の)次の段階は雇用だ。この空白を埋めるにはどうしたらいい?」
 マッキンゼー・レポートは、アフリカに伝統的な採掘産業は資本集約的で、この問題の解決にはあまり役に立たないという。それよりむしろ、観光業や小売業の方がより多くの雇用を生み出す。しかし、もしマッキンゼーが予測するように、この空白が埋まらなかったらどうなるだろう?成長の成果を国民に還元しなかった時に政府がどのような代償を払わねばならないか、南アフリカ政府がいい見本だ。1994年のアパルトヘイト政権が崩壊以降、大陸最大を誇る南アフリカの経済は年5%の勢いで拡大した。しかし、18年間の権力掌握は、アフリカ民族会議(ANC)をネルソン・マンデラの大義ある革命の担い手から、お決まりの途上国の強欲エリートの党に変質させただけだった。失業率は25%から40%、義務教育制度は世界最低レベル、格差は(ANCのスーパー・リッチな人々のネットワークに助長されて)拡大した。
 ANCはこのお粗末な業績の落とし前をつけさせられている。8月半ば、月約500ドルの基本給を三倍に上げることを要求して、南ア北部にあるプラチナ生産会社ロンミンが所有するマリカナ鉱山の3千人の鉱夫がストライキを決行した。すでに騒乱の中で10名の命が失われていた8月16日、警察が34名の鉱夫を射殺した。この事件は残虐なアパルトヘイトを想起させた。やがて反企業、反政府ストライキが他の鉱山や他の業種でも勃発し、今に続いている。これの出来事は、自らを貧しい人たちの代表だとするANC連合政権の主張がいかに空虚な欺瞞であるかをあからさまに示している。このような政府と民衆の乖離を前に、ツツは南アフリカ社会に激変が訪れる可能性は「非常に高い・・・もしそれが大爆発という規模で起これば、社会に大混乱を引き起こすだろう」という。
東ならびに西アフリカでもまた違った形で不穏な空気が浮上している。富める者と貧しい者との間にも分裂があるが、それがさらに既存の部族、人種、宗教的いざこざに油を注いでいる。宗教を根底とした一連の反乱がサハラ以南のいたるところで起こっている。大西洋岸からインド洋岸にいたるまで、若いムスリムたちが政府打倒を叫んで武器を手にしている。彼らは政府が西欧化されて腐敗しており、自分たちを経済的なチャンスから排除していると見ている。


起業大陸
 このような不安定な状況下での進歩など、到底思い描くのは難しい。アフリカにおける成功物語がほとんどファンタジーのように聞こえるのはそのせいだろう。Take Ecobankは資本金185億ドル、131億ドルの預金と2万3500人の従業員を擁し、32カ国で事業展開する国際的商業銀行だが、経営の中枢はアフリカの小国トーゴだ。あるいはエチオピア商品取引所はどうだろう。飢餓で100万人が死んだ次の世代、エチオピア初のヤッピーたちは一次産品取引所のアフリカ発の食料トレーダーたちだ。
 このような大きな将来性と大きな問題が同時に存在している状況は、外部の人間には理解が難しいだろう。年1億3千万ドルに上る援助“業界”は危機にばかり焦点を当てている。かたや西側の銀行は、アフリカの明るい面にしか目を向けたがらない。しかし、48カ国で構成され3千の言語が話されるサブサハラ・アフリカに、逆境とチャンス、双方が満ちているのは当然のことなのだ。ゲルドフは逆境がチャンスを生むことだってある、と言う。「アフリカはその起業精神をどこから得ていると思う?」と彼は尋ねる。「君が生きるための悪戦苦闘をずっと続けてるなら、それはつまり起業家ということさ」。
 世界の新興経済国は、自らが大転換を経験してきたおかげで、アフリカのこの可能性と落とし穴の並存状態をより容易に受け止められるようだ。 その先頭を行くのが中国だ。アフリカとの双方向貿易(しばしば、「道路、鉄道から空港、ダムにいたるインフラ刷新」と「天然資源」の交換という形をとる)は、2011年は1億6600万ドルに上った(長らくアフリカ最大の貿易相手だった米国との貿易高は1億2600万ドル)。また、インド、ブラジル、マレーシア、トルコ、湾岸諸国がアフリカの石油、ガス、石炭、木材、鉱物や耕地を求めている。「新たなグレート・ゲームがアフリカで展開されている」とゲルドフは言う。「もっとも、西欧の大半はこの地理戦略上の大物を無視しているがね」。

 この変化は避けられない。モザンビーク沖のロブマ1鉱区にはリビア全体よりも多量の天然ガスが埋蔵されているし、まだ初期調査の段階だが、ソマリアにはクウェートに匹敵する石油が眠っていると見られる。そしてアフリカ大陸には世界の未開拓の耕作可能地の60%があるのだ。ゲルドフが言うように、「最後には、われわれ皆がアフリカへ向かわねばならなくなるだろう。彼らは私たちが必要とするものを持っている」。そしてこの第二の争奪戦にこそ、アフリカの最大の希望がある。アフリカの第一の争奪戦(1870年代から1900年にかけての状況を歴史家はそう名づけた)は、欧州の帝国主義による分捕り合戦だった。第二の争奪戦では、アフリカこそが最大の勝者となるべきだ。求められればられるほど、アフリカの貧困を減らすことができるし、アフリカはより強くなれる。まともな政府さえできれば「私たちは十分うまくやっていく力があるのです」とツツも言う。
 世界から大きな興味を引いているところに、アフリカの新しい希望がある。どんなに懐疑的な人にさえこの影響は及んでいる。将来をどのように想像するかと聞かれて、ムワンギはいつの日か写真家に戻り、今とはまったく違うケニアを撮っているだろうという。「困難な日々が待っているだろう。暴力沙汰が頻発するだろう。でもやがて、世界は進化したアフリカを見るよ。僕たちはちゃんとした政府を持つ、新しい、安定した国になるだろう。僕たちは生まれ変わるんだ。古いものから新しいものを作り出すんだ」。
 運がよければ、これが将来彼が写真に撮るアフリカの物語になるだろう。(了)

「アフリカは蜂起しなければならない」パトリック・ボンド ~横浜でTICADを考える会 資料1~ 【2/3】

【1/3】http://ticakov.hatenablog.com/entry/2013/03/21/133657より続き


以下、太字下線部分の検証を裏付けるデータを紹介する。

1)14カ国の「脆弱国」を除くほとんどのアフリカ諸国への開発援助の停滞
    いずれにせよ、その大半は“みせかけ”だけのものではあれど

 アフリカへの資金流入は、14の「脆弱国」への援助増加によりかろうじて支えられている。14カ国とはブルンジ中央アフリカ共和国、コート・ジボワール、コンゴ民主共和国、エリトリア、ガンビア、ギニア、ギニア・ビサウリベリア、シエラ・レオネ、サントメ&プリンシペ、トーゴジンバブエ(出典:国際通貨基金

f:id:ticakov:20130404170104j:plain
棒グラフ『サブサハラ・アフリカへの資金流入』


アクションエイドの試算              f:id:ticakov:20130404213021j:plain        
ODAの61%は「みせかけ」
・運営経費 1%
・技術援助 20%
・ヒモ付き援助 4%
・債務救済 14%
・難民救済費用 2%
・貧困削減と関係ないプロジェクト 7%
・送金経費: 13%
以上の合計 61%
本当の援助: 39%         

円グラフ『アクションエイドの試算 ODAの61%は「みせかけ」』


【関連記事】 ユーロ危機深まる中、対アフリカ援助は漸減
ラリー・エリオット2012年7月6日 Aid to Africa dwindles as euro crisis rages on | Business | Economy | Mail & Guardian

 政策提言グループONEによると、欧州各国は2005年夏のグレンイーグルスG8サミットでの公約を守っていない。
欧州から世界の最貧国への援助は昨年7億ユーロも減少した。援助額が減少したのは約10年ぶりで、単一通貨の危機に見舞われた14のEU加盟国が対外援助予算を削減したからだ。
 政策提言グループONEは、欧州各国は2005年夏のグレンイーグルスG8サミットでの公約を守っておらず、緊縮予算が「生殺与奪の権を握る」事業にまで悪影響を及ぼしている、と警告する。
 ロックスターU2のボノが共同設立者に名を連ね、ボブ・ゲルドフも支援する貧困キャンペーングループONEは、「EUは2015年までに対外援助にまわす年間政府予算の割合を0.7%に引き上げるという目標を達成できそうにない」として、この件がブリュッセルで現在進んでいる2014-2020年の予算支出交渉で無視されるのではないかと懸念している。
 ONEの年次報告書「データレポート」によると、最も債務危機の影響をこうむっている二国 - ギリシャとスペイン – は2010-2011年にそれぞれ対外援助予算を大幅削減(それぞれ40%と30%)し、またEUからの援助は1.5%減少した。
 一方、同じくEUと国際通貨基金に救済を要請していてもアイルランドとポルトガルは援助額の減少をわずか3%に抑え、イタリアは逆に25%増加させている。
大幅削減
 ONEの欧州担当エイドリアン・ロベットは「ギリシャとスペインの援助額の大幅カットは二国の状況から予想できなかったわけではありませんが、EU全体の減額は憂慮しています。オランダや英国、アイルランドといった国を見れば、政治指導者が確固とした意思を持ち賢い選択さえすれば援助予算防衛は可能だということがわかります。他国もこれらの例に見習うべきです。」
 ONEの報告では、EUの援助額はグレンイーグルスでの公約に180億ポンド不足しており、またアフリカ援助増額はわずか50億ポンドで、約束された160億ポンドよりはるかに少ない。イタリアとドイツは増額したが、それでもこの二国とも、公約した援助目標額には達していない。
 「欧州の指導者は近隣の国々には巨額を動員して支援の手を差し伸べています。アフリカへの約束も忘れるべきではありません」とロベットは言う。「今月スペインの銀行救済のために決定された費用は、欧州が援助目標を約束通り達成するのに必要な額の5倍に当たります」。
「近年、アフリカ国内は目覚しい進歩を示していますが、何百万という人々がいまだ援助による生活救済プログラムに依存しているという事実に変わりありません。」
 ONEの分析では、英国は2013年までに国の予算の0・7%が援助に回るよう増額していくプログラムを順調にこなしている。「デイビッド・キャメロンは来年国家予算0.7%を援助に、という約束をちゃんと守ろうとしています。来年(2013年)のG8議長国の地位を利用して、彼が、すべての援助国が約束を守るよう次の欧州予算に関して交渉を動かしてくれるかどうかがカギです。」
数えきれないほどの生命
 国際開発担当の閣内相アンドリュー・ミッチェルは「もし豊かな国が最も貧しい人々に対する責任を放棄し始めるなら、数え切れないほどの生命が危険にさらされることになるだろう。援助減額は近視眼的であり、最も貧しい人々の生命だけでなく、わが国の国益も損なうものだ」と言う。「英国は断固として自らの公約を守り続ける。6月28日からのブリュッセル会合は、他のEU諸国のリーダーが0.7%という公約を守る意思を再確認する場になりうる。」
 欧州のリーダーたちは2014-2020年の1兆ユーロの予算案をめぐって論争を繰り広げている。このうち、510億ユーロが開発援助に割り当てられてきたが、英国を含むいくつかの国は、この予算を10%減らすよう要求している。「そんなことになれば、援助はますます限られたものになってしまいます。」とロベットは言う。
 ONEによると、今週EUサミットのために用意された文書には援助予算公約0.7%への言及がなかった。これは2007年以来、なかったことだ。
 EUの27全加盟国の開発援助グループを代表するエイド・ウォッチのレポートでも、ONEと同様の結論を出している。同団体によると、援助減額は「いまやトレンド」になっている。2011年には11カ国が援助を削減し、今年9カ国が更なる減額を予定している。
 エイド・ウォッチはユーロ圏で自らの公約に大きく遅れをとっている二大国としてドイツとフランスを名指ししている。またEU援助の14%(73億5千万ユーロ)が途上国に届かなかった可能性があると言う。
 「援助によって変化が生まれているという人々への信頼が必要です。透明性が確保され、途上国の最貧層の人々に確実に援助が届かなめればなりません」とワールド・ビジョン・インターナショナルのキャロライン・クローカーはいう。「そうでなければ、着実な成果がどうやって保証されるでしょうか?」
(コピーライト:2012年ガーディアンニュース)


2) ワシントンが率先してHIV/AIDsとマラリア対策への更なる資金援助をカット
【関連記事】アフリカへの対AIDS資金援助が減少-専門家が警鐘
アンガス・ショウ(AP通信) 2012年7月19日
Experts: Africa countries lose out on AIDS funding - Yahoo! News

ジョハネスバーグ(AP) - アフリカはHIV/AIDSと闘うための資金援助を国際社会から十分に受けておらず、その結果、医薬品不足から破壊的な結果が起こる恐れがあると、国際的な人道的非政府医療団体が木曜日に発表した。
国境なき医師団の専門家は、コンゴは抗レトロウィルス薬をそれを必要とする人の15%にしか配布できず、「患者は文字通り、助けを求めながらわれわれの眼の前で死んで行く」。
この声明は7月22日からワシントンで開催される国連世界AIDS会議に先立ってジョハネスバーグで発表された。同団体によると、この病気に関してもっとも深刻な状況にあるアフリカ諸国は、同時にエイズと闘うための「最先端の医療」を享受できる可能性がもっとも少ないところとなっている。
同団体は、国連データはこの病気が世界的に拡大していることを示しているのに、ドナーは以前自分たちが公約したアフリカへの資金援助額を縮小させようとしていると言う。
また、「アフリカ諸国はエイズ問題解決の手段を国内で見つけるべきだ」という圧力がますます強くなっている、と述べる。
「これはエイズ問題の最終解決のために自分たちが以前の行った公約から手を引くための、まったく人を食ったような言い訳に過ぎません。この動きは患者たちに壊滅的な影響をもたらすでしょう」と、同団体のアフリカ南部地域担当上級アドバイザーのEric Goemaere博士はジョハネスバーグで記者に話した。「アフリカ諸国が、彼ら自身の限られた資金でこの非常事態を自分たちだけで解決できるなどと思うこと自体、とんでもない話ですよ」。
ワシントンサミットでは政治指導者と科学者たちが、エイズ撲滅という最終目標に向けてのプログラムの再評価をすることになっている。しかし、途上国での治療の回数を増やし質を高める計画は、国際的な援助の行き詰まりで根本からひっくり返される瀬戸際にある、と同団体は述べる。
南アフリカとその周辺地域におけるエイズ対策プロジェクトの主な支援者である世界基金は、いまやドナーたちの関心が急速に薄れていくのをひしひしと感じている。
UNAIDSによる最新研究では、国際的なエイズ対策援助資金額は2008年の80億ドルからその後も大して増えておらず、いくつかの途上国は既存のプログラムを継続するのに自分たちの予算支出を増やさざるを得なくなっている。
しかし資金が削られようとしている今、まさにこれまでのエイズ対策プログラムの効果が現れ始めているのだ。
木曜日の発表では、南アフリカで母子間のエイズ・ウィルス感染の件数減少が発表された。母親と生後4-6週の子どもへの治療が効を奏したのだ。
「母親と幼児への早期治療が大きな効果を挙げることがはっきりしてきました」と保健大臣アーロン・モツォレディは記者に語った。
南アフリカでは、新生児の32%にHIV感染の恐れがあり、その内30%が8週間以内に何の治療薬も投与されなければHIVに実際に感染してしまうと見られている。この国では世界でもっとも多くの560万人がAIDSを発症しており、感染率は5千万人の全人口の約18%に当たる。
国境なき医師団の医師によると、マラウィ、モザンビークジンバブエでも彼らのAIDSプログラムの効果が上がっていると報告されている。
マラウィは、妊婦と母乳育児中の母親への治療を通して母子感染を防ぐプログラムに最初に着手した。
マラウィ保健省のスチュアート・チュカは、エイズ撲滅はいまや医療技術とそのための金が払えるかどうかにかかっている。
「ゴールが今にも手に届きそうなのに、われわれは資金難に陥っています。わたしはエイズは撲滅できると固く信じていますが、私たちだけでは不可能なのです」と彼は語った。
コンゴに駐在する国境なき医師団のメンバーThierry Dethierは、同国では診療所の10箇所に1つしかエイズ治療を提供していないと言う。「必死になってARV治療が受けられるところを探しあぐねた重病患者が私たちのところにやってくるのです。」しかし、その治療自体がいまや死に体なのだ。


3) 2005年に債務(そのほとんどは、いずれせよ返済不可能な独裁者への“汚い”債務)
帳消しはあったが、その直後からの劇的な債務返済の増加がアフリカの低所得国の財務省を圧迫

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単位:10億ドル
※表『ジョセフ・ハンロン「独裁者と債務(1998)」の数値から』

2005年の債務帳消しは、アフリカの債務返済額が輸出収入に占める比率を改善せず。帳消しされたのはほとんどが返済不可能な債務に過ぎない。

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グラフ『各地域の代表的な低所得国の公的債務総額(対GDP比%)』、『各地域の代表的な低所得で利払いが歳入に占める割合』


4) 特に中国と西側諸国の動きによる資源流出で鉱物と石油資産が劇的に減少(資源剥奪を考慮に入れた“調整純貯蓄”を計算した場合)

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資料:世銀データより筆者が計算
※グラフ『サブサハラ・アフリカの調整純所得が国民総所得に閉める割合』

5) ネットアクセスが低いため、たとえ費用が高くても携帯電話は急速に普及している。しかしこれはデジタル・デバイドの解決にほとんど役立っていない。
2012年9月25日掲載
IT News Africa - Technology, Telecom, Mobile and Gadgets news, analysis and reports

サブサハラ・アフリカの40%がブロードバンド・アクセス欠如によるデジタル・デバイドを経験
英連邦テレコミュニケーション機関(CTO)の新しい社会経済レポートによると、通信衛星が現在サブサハラ・アフリカの大部分で経験されているデジタル・デバイド(情報格差:パソコンやインターネットなどの情報技術(IT)を使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる、待遇や貧富、機会の格差:訳注)を埋めるのに大きな役割を果たしている。
Avanti Communicationsの資金援助で作成されたこの報告書は、限られたブロードバンド網設備と高い料金のせいでサブサハラ・アフリカの大多数がブロードバンドへのアクセスにおいて世界の他の部分に遅れをとっている、とする。

確証に基づいたICT政策と規制を:アフリカにおける情報通信技術へのアクセスと利用
Gillwald.A.&Stork.C著(2009)

・携帯電話普及“数が、何百万ものアフリカ人がいまだに自身の通信手段を持っていないという事実を覆い隠す役割を果たしている“。
・アフリカは、十全な通信サービスにアクセスできる人の割合においても、サービスの利用頻度や利用形態に関しても世界の他の地域に大きく遅れを取っている。その第一の理由は料金が高いことだ。
・大規模通信サービスの費用が高いためにそれを利用する他の経済活動も高額となり、ほとんどの国でビジネスコストの増大を招いている。
・情報通信技術がGDPに占める割合は・・・世界平均よりかなり低い。
・十全な通信サービスへの全面的アクセスを、全国民のために、かつ妥当な料金で達成するという国家目標は、お粗末な政策により失敗に終わっている。
・アフリカ大陸の全般的傾向として、電話アクセスの差による格差は減少しているが、デジタル・デバイドは広がっている。特に大陸のほとんどの地域にブロードバンドが普及していない。
・固定電話分野は回復の兆しを見せない。ほとんどの国が2006-08年のマイナス成長の影響を引きずっている。


6) 1970-2010年間のアフリカからの資本逃避は1.4兆ドルに上ると見られる。

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単位: 2010年時の10億ドル
※棒グラフ『サブサハラ・アフリカ』

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リビアのデータはないが、おそらく最悪の数値だろう)
表『北アフリカ四カ国』

出典:

http://www.peri.umass.edu/fileadmin/pdf/ADP/SSAfrica_capitalflight_Oct23_2012.pdf
Capital Flight from Sub-Saharan African Countries: Updated Estimates, 1970 – 2010
James K. Boyce andLéonce Ndikumana, Political Economy Research Institute
University of Massachusetts, Amherst October 2012


(【3/3】へ続く)

報告(動画) 茂住衛さん@「平和と友情が築かれるアフリカと日本のために」 結成トークセッション

 2月27日に開かれた、横浜でTICADを考える会の結成トークセッションでの茂住衛さんのお話です。


茂住衛 TICADとは。NGOの関わり方は。 横浜でTICADを考える会 結成トークセッ ...

茂住衛さん:アフリカ日本協議会(AJF)理事、ニュースレター『アフリカNOW』編集責任者


結成トークセッションの報告はこちら↓
報告 「平和と友情が築かれるアフリカと日本のために」 横浜でTICADを考える会 結成トークセッション - 横浜でTICADを考える会

報告 「平和と友情が築かれるアフリカと日本のために」 横浜でTICADを考える会 結成トークセッション

横浜でTICADを考える会、できました!

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 2月27日、横浜でTICADを考える会の結成トークセッションが開かれました。司会から、2008年のTICAD IVが横浜で開催されることをきっかけに批判的視点でTICADを考える会を結成し学習会やデモに取り組んだ経緯を紹介し、今回のTICAD Vもその継続として、新自由主義や軍事化の問題とあわせて考えていく連続学習会を企画したとあいさつがありました。

 トークセッションのコーディネーター、大友深雪さんは、TICADなどが掲げる「開発」「成長」というキーワードへの抵抗感を切り口に、収奪した富のおこぼれとしての「援助」では貧困はなくならず、それにかわって企業中心のさらなる収奪のための「開発」がクローズアップされているが、それでいいのか、必要なのは収奪した富の返済などを通じた世界的な不平等の是正ではないのか、にもかかわらずTICADに規制・修正提言などしながら関わらざるを得ないと考えるのはどうしてなのかと問題・疑問を提起しました。

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 つづいて、茂住衛さんと津山直子さんからお話をしていただき、フロアセッションを行いました。以下、茂住さんと津山さんのお話をまとめました。


● 茂住衛さん         f:id:ticakov:20130321142059j:plain 
 1993年からスタートしたTICADに、アフリカ問題に取り組むNGOがどう関わってきたのかをお話します。   
政府間会議であるTICADや日本社会にアフリカの人々の声を伝え、政策に反映させるためにシンポジウムや政策提言活動、外務省との協議などの努力がつづけられてきました。
2007年にはアフリカNGOが中心となってアフリカ市民協議会(CCfA)が発足、2008年のTICAD IVでは、アフリカ市民社会の声を伝える取組みを開始。今回のTICAD Vに向けて2月9日にベナン、ボツワナ、モロッコのCCfAメンバーを招いて横浜でシンポジウムを開催しました。

これまでのTICADは従来のアフリカ外交の延長のような感じだったが、今回からは「成長するアフリカ」の活力を民間企業が支えるという経済面での課題がクローズアップされている感じがします。

日本の側には経済成長すれば貧困は自然と解消するという考えが根底にあるのではないかと思います。アフリカの政治家にもそのような考えがあります。しかし医療や教育など公共サービスの問題など課題はあるとおもいます。

なぜNGOがこのような国際会議に関わるのでしょうか。92年に開かれた国連環境開発会議、いわゆるリオサミットで多数のNGOがそのプロセスに参加しました。2002年には南ア・ヨハネスブルグでリオ+10が開かれ、ここにも多くのNGOが参加しています。平和、貧困、環境などの問題で開催される政府間会議にはNGOも参加するというのが普通になっています。日本ではカンボジア内戦後の復興にNGOが関わりだしたのが最初ではないでしょうか。

また99年には世界貿易機関(WTO)交渉に対抗アクションが取り組まれ、大きな話題になりました。2007年ケニアで開かれた世界社会フォーラム(WSF)にアフリカや日本のNGOも参加し、2011年のセネガルダカールでのWSFにも参加しました。

かつてに比べてアフリカ問題に関わる人や資金は増えている。アフリカも身近になったと思います。しかし内容の検証が必要ではないでしょうか。資金を投じることによって解決する問題もあるでしょうが、構造そのものを変えなければならないものもあるでしょう。市場化によって従来の経済構造が破壊され、現金収入がないと生きていけなくなっているケースもあります。本当にそれは正しいことなのか、従来の社会経済を破壊しないかかわりも必要ではないでしょうか。



● 津山直子さん f:id:ticakov:20130321142057j:plain

 80年代から当時の南アのアパルトヘイト政策に反対する取組みを支援してきました。1987年に日本は南ア最大の貿易相手国となり、世界中から非難を受けます。90年にANCの指導者であるネルソン・マンデラが釈放されます。私は92年に日本ボランティアセンターの現地スタッフとして南アでの活動を始めました。南アでは黒人意識運動、つまり白人になるのではなく、自分たち自身が白人絶対主義から解放される必要があるという運動に接し、いろいろな「気づき」があった。自分の能力に「気づく」、問題の存在に「気づく」、どうすれば問題が解決できるのかに「気づく」などです。自分自身もたくさんの人々と接する中で気づかされたことがたくさんありました。

国際問題に取り組むNGOのなかで「連帯/Solidarity」が言われなくなったと思います。援助や開発は増えましたが連帯という視点が必要ではないでしょうか。「パートナーシップ」といいますが本当に同じ立場に立ってそれを言っているのでしょうか。

先日、モザンビーク全国農民連盟(UNAC)が来日し、モザンビーク、日本、ブラジルの三カ国の政府が推進する農地開発計画に対する批判を行いました。計画が自分達に知らされずに進められていると。かれらは昨年10月に会合を開き、この計画に対する声明を採択し、昨日も日本の外務省やJICAに申し入れを行いました。

外務省は今年9月にマスタープランを提案するといいます。しかしUNACはマスタープランの作成作業にUNACなど当事者を入れるべきだと主張しています。わたしは声明の次の一文が気に入っています。

「農民は生命や自然、地球の守護者である。小農運動としてのUNACは、農民の基礎(土壌の尊重と保全、適切で適正な技術の使用、参加型で相互関係に基づく農村開発)に基づいた生産モデルを提案する」

来日したUNACのメンバーは「ヒューマニティとソリダリティの問題だ」と述べていました。北欧ではNGOだけでなく農協、政府機関もUNACのスタンスに連帯を表明しています。外務省やJICAは日本の開発政策が引き起こしている問題に正面から向き合うべきだと私も意見を伝えました。

来日したモザンビークの農民はこう述べていました。「2007年ごろはバイオ燃料作物を植えろと指導されてそうしたが、結局だれも買いに来なかった。今度は日本向けに大豆を植えろといわれている。しかしモザンビークの農民にとって何が本当に必要なのかは自分達が一番知っている。パートナーシップというのであればまず自分達の意見を聞いてほしい。」

このような人々の声に連帯していきたいとおもいます。


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(発言まとめ:横浜でTICADを考える会)

「アフリカは蜂起しなければならない」パトリック・ボンド ~横浜でTICADを考える会 資料1~ 【1/3】

 2012年12月、“Africa Rising”という記事が『TIME』誌に掲載された。南アフリカの反グローバリゼーションの論客パトリック・ボンド(Patrick Bond)は、アフリカはRising(勃興)などしておらず、逆に援助が減る傍ら、ますます海外資本の略奪や国内エリートによる資本逃避にさらされていると反論する。

パトリック・ボンド氏のコメント

論考の概要:
アフリカの勃興はさまざまな誘引によるものであるが、そのほとんどは外部的なものであり、またこの10年間に起こったものである - 数十億ドルに上る援助(特にHIV/AIDsとマラリア対策)、数百億ドルに上る対外債務の帳消し、特に中国の動きによりアフリカの天然資源に関心が集まったこと、携帯電話の急速な普及(2000年には数百万台だったものが今日では7億5千万台に及ぶ)など。アフリカに対する海外の関心は、そこでのビジネスへと焦点が移行している。2006年に投資額が初めて援助額を追い越し、現在、その差は二倍に開いている。


話のオチ:
アフリカは今、歴史的変容の過程にある。この数十年間にアジアで起こったように、今後数十年の間に、数億人のアフリカ人が貧困から脱却するだろう。ライブ・エイドの仕掛け人だったボブ・ゲルドフが、この二月にアフリカをターゲットにした2億ドルのプライベート・エクイティ・ファンドを立ち上げたが、これは事態の変化を象徴的に表している。「21世紀はアフリカの世紀になりうる」と彼は言う。「新たなグレート・ゲーム(略注1)がアフリカで展開されている。もっとも、西欧の大半はこの地理戦略上の大物を無視しているがね」。この変化は避けられない。モザンビーク沖のロブマ1鉱区にはリビア全体よりも多量の天然ガスが埋蔵されているし、まだ初期調査の段階だが、ソマリアにはクウェートに匹敵する石油が眠っていると見られる。そしてアフリカ大陸には世界の未開拓の耕作可能地の60%があるのだ。ゲルドフが言うように、「最後には、われわれ皆がアフリカへ向かわねばならなくなるだろう。彼らは私たちが必要とするものを持っている」。そしてこの第二の争奪戦にこそ、アフリカの最大の希望がある。アフリカの第一の争奪戦(1870年代から1900年にかけての状況を歴史家はそう名づけた)は、欧州の帝国主義による分捕り合戦だった。第二の争奪戦では、アフリカこそが最大の勝者となるべきだ。

(略注1:「グレート・ゲーム」とは、19世紀から20世紀にかけての、中央アジアの覇権を巡る大英帝国とロシア帝国の敵対関係と戦略的抗争を指す言葉)


No, Africa's not 'rising' but should be uprising
 アフリカは“勃興”にあらず しかして“蜂起”すべし
 パトリック・ボンド 12月5日 

『TIME』誌のオリジナル記事の要旨:アフリカの勃興はさまざまな誘引によるものであるが、そのほとんどは外部的なものであり、またこの10年間に起こったものである - 数十億ドルに上る援助(特にHIV/AIDsとマラリア対策)、数百億ドルに上る対外債務の帳消し、特に中国の動きによりアフリカの天然資源に関心が集まったこと、携帯電話の急速な普及(2000年には数百万台だったものが今日では7億5千万台に及ぶ)など。【TIME記事は巻末に掲載】

 アフリカに対する海外の関心は、そこでのビジネスへと焦点が移行している。2006年に投資額が初めて援助額を追い越し、現在、その差は二倍に開いている。

真実:アフリカの衰退(非再生可能資源の減少を計算に入れると、年6%以上)はさまざまな誘引によるものであるが、そのほとんどは外部的なものであり、またこの10年間に起こったものである - 14の「脆弱国」を除くほとんどのアフリカ諸国への開発援助の停滞(1)(いずれにせよ、その大半は“みせかけ”だけのものだったが)、ワシントンが率先してHIV/AIDsとマラリア対策への更なる資金援助をカット(2)、2005年に数百億ドルに上る対外債務(のほとんどは、いずれせよ返済不可能な独裁者への“汚い”債務)が帳消しされつつもその直後からの劇的な債務返済の増加(3)がアフリカの低所得国の財務省を圧迫、特に中国と西側諸国の動きにより鉱物と石油資産が劇的に減少(4)したこと(資源剥奪を考慮に入れた“調整純貯蓄”を計算した場合)。そして、ネットアクセスが低いため、たとえ費用が高くても携帯電話は急速に普及している。しかしこれはデジタル・デバイドの解決にほとんど役立っていない(5)。アフリカでは金融がますます海外の関心を独占している。何十年もの間、アフリカのエリートたちは援助やアフリカへの投資を上回る勢いで西欧や東アジアの金融市場に投資を続けており、1970-2010年間のアフリカからの資本逃避は1.4兆ドルに上ると見られる(6)。

(【2/3】へ続く)